第1章 世界一安全な道路交通を目指して 

第1節 交通事故との闘いの軌跡

 交通事故問題に対する警察の取組みについて、昭和30年代から現在に至るまでの状況を概観する。

(1) 昭和30年代以降現在までの交通事故の発生状況の推移
 戦後、我が国では、自動車交通が急成長期に入った昭和30年代から、交通事故発生件数、交通事故死者数が共に激増し、40年代半ばにピークとなって、それ以降、交通事故発生件数、交通事故死者数が共に減少に転じたが、50年代半ばから、再び増加に転じた。
 その後、交通事故死者数は、平成5年以降、再び減少に転じたが、交通事故発生件数は、現在に至るまでほぼ一貫して増加し続けている。

 
図1-4 交通事故発生件数及び死者数等の推移(昭和30~平成16年)

図1-4 交通事故発生件数及び死者数等の推移(昭和30~平成16年)
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(2) 第一次交通戦争との闘い~昭和30年代以降昭和50年代前半までの交通警察行政
 [1] 交通情勢
  ア 急成長する自動車交通
 我が国の自動車交通は、昭和30年代に入り急成長期を迎えた。それまでの自動車交通の中心は貨物自動車であったが、車両の保有台数は、30年代は二輪車を中心に、40年代は乗用車を中心に急増し、49年には3,733万台と、30年当時の約20倍に増加した。
 また、道路の整備も進んだ。特にこの時期には、全国主要都市を結ぶ高速道路網の建設が本格化し、40年には名神高速道路が、44年には東名高速道路が全線開通した。

 
図1-5 車両保有台数の推移(昭和21~49年)

図1-5 車両保有台数の推移(昭和21~49年)
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図1-6 高速自動車国道供用距離の推移(昭和38~49年)

図1-6 高速自動車国道供用距離の推移(昭和38~49年)
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  イ 激増する交通事故
 自動車交通の急成長は、社会経済の発達と国民生活の向上に大きく寄与したが、その一方で、交通安全施設の整備や交通警察官の増員等の交通安全対策がこれに追い付かなかったこともあって、交通事故が激増し、交通戦争と称される深刻な状況となった。45年に年間の交通事故死者数は16,765人にも達したが、これは、我が国における最悪の記録である。
 30年代から40年代における交通事故死者を状態別にみると、歩道や信号機の整備が十分でない中で、歩行中の死者が最も多くなっていた。特に、子どもが犠牲となった痛ましい事故が続発したことは、交通事故問題の深刻さを国民に強く印象付けた。

 
図1-7 年齢層別交通事故死者数の推移(昭和30~55年)

図1-7 年齢層別交通事故死者数の推移(昭和30~55年)
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コラム1 「交通戦争」と呼ばれた理由
 昭和30年代以降の自動車交通の急成長に伴い、交通事故の発生が急増した。これに伴い、交通事故死者数の水準が、日清戦争での日本の戦死者(2年間で1万7,282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして、「交通戦争」と呼ばれるようになった。

 
第一次交通戦争を取り上げた新聞記事(読売新聞)
第一次交通戦争を取り上げた新聞記事(読売新聞)

 [2] 交通警察活動の重点
  ア 交通安全対策の基本的枠組みの形成
 交通事故が激増し始めたこの時期、交通事故問題は、行政各分野が協力して取り組むべき重要な政策課題と位置付けられるようになった。30年の交通事故防止対策本部(本部長:内閣官房長官)の設置、同本部を格上げする形での35年の交通対策本部(本部長:総務長官)の設置等を経て、45年には、交通安全対策基本法が制定されるとともに、同法に基づく中央交通安全対策会議(会長:内閣総理大臣)が設置された。以降、同会議で作成する「交通安全基本計画」に基づいた総合的な交通安全対策が講じられることとなり、ここに、我が国における交通安全対策の基本的枠組みが形成された。
 交通安全対策基本法は、国、地方公共団体、車両の製造事業者、国民といった各主体の責務を明確にするとともに、必要な体制を確立し、国や地方公共団体の施策の基本を定めることにより、交通安全対策を総合的かつ計画的に推進することを目的として定められたものである。警察も、同法に定められた基本的施策を推進している。

  イ 道路交通法令の制定
 35年、従来の道路交通取締法(注)が廃止され、新たに道路交通法が制定された。これは、すべての交通参加者が安全に道路を通行するために遵守すべき、道路交通の基本法たる性格を有するものである。以降、その時々の交通情勢に応じ、累次の法令改正が行われている。
(昭和42年)極めて大量に発生する交通違反を刑事手続を経ずに処理することができるよう、交通反則通告制度が新設された。
(昭和43年)点数による行政処分制度が導入された。
(昭和46年)誰もが正しい交通方法を容易に理解することができるようにするため、国家公安委員会が交通の方法に関する教則を策定し、公表することとされた。
(昭和53年)共同危険行為を禁止するなど暴走族対策の強化に資する規定が整備された。
(昭和60年)交通事故による被害を軽減するため、自動車の運転者及び助手席同乗者の座席ベルト着用が義務化された。
(平成元年)運転免許取得後間もない初心運転者の交通事故を防止するため、初心運転者期間制度が新設された。
(平成9年)高齢運転者の交通事故を防止するため、高齢者講習制度が新設された。また、効果的かつ適切な交通安全教育が行われるようにするため、国家公安委員会が交通安全教育指針を策定し、公表することとされた。
(平成13年)飲酒運転等悪質・危険な運転による交通事故を防止するため、罰則が強化された。
 直近の平成16年の改正では、違法駐車対策、中型自動車の区分の新設、暴走族対策に関する規定等が整備されている(本節コラム3第2節コラム124参照)。


注:昭和22年に、道路における危険防止その他の交通の安全を図ることを目的として制定された法律であるが、歩行者・自動車の通行方法や自動車の運転者の義務等に関する規定が十分でないなど、変貌する道路交通の実態に対応しきれていなかったほか、政令(道路交通取締令)への委任の範囲が広く、国民の権利や自由の制限にかかわる規定が少なからず政令で規定されているなどの問題があったことから、新しい時代における基本的な道路交通の規範を定める法律として、道路交通法が制定されることとなった。

 
図1-8 交通安全対策の枠組み

図1-8 交通安全対策の枠組み

  ウ 交通警察活動の重点的取組み
 この時期における交通警察活動の重点は、無謀運転の防止をねらいとした交通違反取締りの強化、安全な道路交通環境づくりをねらいとした交通安全施設等の重点的整備、歩行者の安全確保をねらいとした交通安全教育の充実等であった。

  (ア)交通違反取締り
 警察では、重大な交通事故の多くは運転者の無謀な運転行動により発生するとの考えに基づいて、昭和20年代後半から運転者の交通違反に対する取締りを強化しつつあったが、30年代以降、白バイ、パトカーの大幅増強等により取締り体制を充実させ、取締りを強力に推進した。特に、47年から49年にかけて交通警察官を全国で約9千人増員したことにより、取締りの執行力が大いに高まった。

 
当時のパトカー・白バイ
当時のパトカー・白バイ

 
図1-9 交通違反取締り件数の推移(昭和30~55年)

図1-9 交通違反取締り件数の推移(昭和30~55年)
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  (イ)交通安全施設等の整備
交通事故を防止するためには、交通違反取締りや交通安全教育により運転者や歩行者が危険な運転・行動をしないようにすると同時に、安全に通行することのできる道路交通環境を整えることが重要であるとの考え方に基づいて、40年代に入って、「第1次交通安全施設等整備事業三箇年計画」の策定(41年)以降、警察では、道路管理者による歩道、ガードレール等の整備と協調しながら、信号機、交通管制センター、道路標識、横断歩道等の道路標示等の交通安全施設等の整備を本格的に推進した。

コラム2 交通信号機の歴史
○ 交通信号機の発祥期
 大正期の半ばから昭和初期にかけて、道路の交通整理は、警察官の「挙手の合図」等により行われていた。我が国最初の自動交通信号機は、米国製の中央柱式の信号機(交差点の中央に設置されるもの)で、昭和5年3月に東京の日比谷交差点に設置された。当時、ほとんどの国民は色灯による交通信号の意味を知らなかったため、交差点の四隅に警察官を連日配置するなどして周知に努めた。また、現在設置されているような側柱式の信号機は、同年12月に国産第1号として京都市に設置された後、全国に普及した。10年前後には、既に学童横断用の押ボタン式自動信号機や系統式の交通整理信号機の整備が開始されている。

 
手信号による交通整理
手信号による交通整理

○ 交通信号機の発達
 大都市を中心に整備が進んでいた交通信号機も、戦災により大部分が焼失したが、戦後の復興に伴い再び整備が進んだ。38年3月には、車両感知器を用いて交通量の多寡に応じた信号制御を行う感応式信号機が東京都と横浜市に設置され、41年4月には、東京都の銀座地区で、電子計算機を用いた広域交通制御が開始された。46年以降、各地に交通情報の自動収集機能と広域交通制御機能が一体化された交通管制センターが設置されるようになり、それ以降、信号機の整備拡充が図られるとともに、オンライン集中制御化に適合するよう信号機の機能の高度化が図られた。

 
初期の自動交通信号機
初期の自動交通信号機

 
日本初の押ボタン式信号機
日本初の押ボタン式信号機

 
日本発の広域制御中央装置
日本初の広域制御中央装置

○ 交通信号機の今
 近年は、車載機との通信を行う光ビーコンからの情報を利用して信号制御を行う公共車両優先システムが整備されるなど、更に高度な機能が実用化されている。また、現在整備が進んでいるLED(注)式信号灯器は、西日による疑似点灯を防ぐほか、消費電力が電球式の約6分の1であることから、電力使用による二酸化炭素排出量の削減にも効果がある。


注:LED:Light-Emitting Diode(発光ダイオード)

 
電球式 LED式
   電球式        LED式

  (ウ)交通安全教育
 自動車交通の急成長に伴い、子どもを中心に、道路交通の場における弱者である歩行者の死亡事故が増加し、その安全対策が重要課題となった。

 このため、歩行者が、正しい通行方法を始め、交通事故の危険から身を守るための知識や技能を習得することが重要であるとの考え方に基づいて、30年代半ばから、警察官、婦人交通指導員、学校関係者等により、子どもに対する交通安全教育が活発に行われるようになった。45年からは、新たに制度化された警察の交通巡視員もこれに携わるようになった。
 30年代から40年代にかけては、全国交通安全運動で「歩行者の安全な横断の確保」が運動の重点とされ、児童、生徒等に対して、道路横断中の交通安全を図るための教育が学校や関係団体と連携の下に行われた。30年代前半には、「止まって、見て、待って歩く」習性を身に付けるための指導が行われ、40年前後には、「横断の際手を上げて合図する運動」が推進された。

 
子供会での横断指導
子供会での横断指導

 
歩行中の子どもが犠牲となった死亡事故の新聞記事(朝日新聞)
歩行中の子どもが犠牲となった死亡事故の新聞記事(朝日新聞)

 [3] 対策の効果
 このように、国を挙げて交通安全対策が強化された結果、交通事故発生件数は45年以降、交通事故死者数は46年以降、減少に転じた。
 これらが減少に転じた時期は、交通違反取締り件数の伸び率が車両保有台数の伸び率を上回るとともに、交通安全施設等の整備量が急上昇した時期とほぼ一致しており、交通違反取締りの強化と交通安全施設等の重点的整備は、交通事故の防止に相当寄与したものと考えられる。

 
図1-10 自動車1万台当たりの取締り件数と死者数の推移(昭和41~59年)

図1-10 自動車1万台当たりの取締り件数と死者数の推移(昭和41~59年)
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図1-11 歩行中死者数・横断中死者数と信号機数の推移(昭和30~55年)

図1-11 歩行中死者数・横断中死者数と信号機数の推移(昭和30~55年)
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(3) 第二次交通戦争との闘い~昭和50年代半ば以降の交通警察行政
 [1] 交通情勢
  ア 自動車交通の更なる成長と国民皆免許時代の到来
 昭和30年代から40年代にかけて急増した車両保有台数は、50年代に入り、伸び率が徐々に低下したものの、引き続き強い勢いで増加し続け、50年は約3,859万台であったものが、平成16年には約9,046万台と約2.3倍になった。また、昭和30年代の自動車交通は貨物自動車や自動二輪車が中心であったが、50年代に入ると乗用自動車が中心となり、現在では、車両保有台数の60%以上を乗用自動車が占めている。

 
図1-12 車両保有台数の推移(車種別の構成率)(昭和31~平成15年)

図1-12 車両保有台数の推移(車種別の構成率)(昭和31~平成15年)
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 同時に、50年代に入って女性の運転免許取得者が急増したことなどにより、運転免許を取得することができる16歳以上の人口当たりの免許保有者率は、50年には40%であったものが、56年には50%を超え、国民皆免許時代と称されるようになった。平成16年12月末現在、免許保有者数は7,824万6,948人、免許保有者率は72.0%に達している。

 
図1-13 免許保有人口の推移(昭和33~平成16年)

図1-13 免許保有人口の推移(昭和33~平成16年)
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  イ 再び増加に転じた交通事故
 40年代半ば以降に減少に転じた交通事故は、発生件数については53年以降、死者については55年以降、再び増加に転じた。死者数は63年に再び1万人を超え、第二次交通戦争とも称される状況となった。
 交通事故が再び増加基調となった背景には、自動車交通が引き続き成長する一方で、国や地方公共団体が、交通事故の増加を抑止するために必要な、交通違反取締りを行う交通警察官の増員や交通安全施設等の整備等を推進するための予算を十分に措置することができなくなったことがある。
 50年以降の交通事故死者を状態別にみると、最も多いものは、かつての歩行中の死者から自動車乗車中の死者に代わり、50年代半ばから60年代にかけては、自動車運転中の若者の死者が急増した。

 
図1-14 交通事故発生件数の推移(昭和50~平成16年)

図1-14 交通事故発生件数の推移(昭和50~平成16年)
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 [2] 交通警察活動の重点
  ア 運転者教育の充実
 国民皆免許時代が到来する中、警察では、自らの意思で安全運転を励行する運転者を育成することが重要であるとの考え方に基づいて、運転者教育を充実させた。運転者に自己の心理的・性格的特性や運転技能の特性に由来する危険性を自覚させたり、危険の予測や回避について理解を深めさせたりするための教育手法を開発し、それを活用した各種の講習制度を導入した。
 40年代から50年代にかけては、指定自動車教習所の学科教習を見直し、安全運転の知識の習得、社会的な責任の自覚、運転マナーの向上を図った。50年代には、免許更新時の講習を見直し、免許の種別や年齢に応じた学級編成を推進するとともに、更新者の心理的・性格的特性を検査して本人に自覚させるなどの教育手法の導入を図った。
 61年には、一定の違反行為をした初心運転者に特別な講習を受講させる制度を導入し、実際に運転をさせ、技能診断を行うなどの個別的な指導を行うようになった。さらに、平成2年には、これらの者を対象に、路上での自動車等の運転実習を取り入れ、危険予測や回避訓練を行うなど、参加・体験・実践型の教育を推進した。
 6年には、免許取得時に、危険予測能力等を修得させるための講習を受講させる制度を導入し、運転シュミレーターを活用したり、受講者同士に意見交換をさせたりするなど、更に教育効果の向上を図った。

  イ 運転免許制度の充実
 2年には、技能及び知識が十分に定着していない運転者を矯正することを目的として、初心運転者期間制度が導入された。この期間に一定の違反行為をした者は、講習又は再試験を受けなければならず、再試験に合格しなければ運転免許が取り消されることとなった。
 一方、6年には、優良運転者の優遇措置が講じられ、運転免許証の有効期間が3年間から5年間に延長され、運転免許証には優良運転者である旨が記載されることとなった。

  ウ 被害軽減対策
 昭和50年代半ばまでの対策は、総じて、死亡事故につながりやすい飲酒運転を重点的に取り締まるなど、交通事故の発生防止を主眼としていたが、交通事故が再び増加に転じたこの時期、ヘルメットや座席ベルトの着用を義務化するなど、交通事故が発生した際の被害を最小限に抑えるための被害軽減対策が積極的に講じられた。
 自動二輪車乗車中のヘルメット着用は、40年に高速道路で、47年に最高制限速度が40キロメートル毎時以上とされている道路で順次義務化され、53年にすべての道路で義務化された。原動機付自転車乗車中のヘルメット着用は、61年に義務化された。
 自動車乗車中の座席ベルト着用は、46年に高速道路で努力義務とされ、その後、官民協力した大々的な着用キャンペーンの展開を経た後、60年にすべての道路で運転者及び助手席同乗者の着用が義務化された。
 警察では、着用義務化後も、広報啓発活動や違反者の指導取締りを徹底することにより、着用率の向上に努めた。
 また、平成6年には、普通免許や二輪免許を受けようとする者に応急救護処置講習の受講が義務付けられ、交通事故による負傷者の救命率の向上が図られた。
 さらに、12年には、6歳未満の幼児を同乗させる際には、チャイルドシートを使用させることが義務化された。

 
シートベルト着用指導
シートベルト着用指導

  エ 悪質・危険運転者対策の強化
 警察では、最高速度違反や飲酒運転のような死亡事故につながりやすい悪質・危険な運転行為に対しては、長年にわたり、取締りの強化、罰則の引上げ、行政処分の強化等の対策を講じてきた。例えば、飲酒運転対策の経緯は、次のとおりである。
 〈道路交通法制定時(昭和35年)〉
      ・ 酒気帯び運転(注1)を禁止(血液1ミリリットル当たり0.5ミリグラム以上又は呼気1リットル当たり0.25ミリグラム以上)
      ・ 酒酔い運転(注2)のみ罰則(6月以下の懲役又は5万円以下の罰金)
 〈昭和39年〉・ 酒酔い運転の罰則引上げ(1年以下の懲役又は5万円以下の罰金)
 〈昭和44年〉・ 点数制度の導入(酒酔い運転は9点)
 〈昭和45年〉・ 血液中又は呼気中のアルコール濃度の高低にかかわらず飲酒運転を一律に禁止
      ・ 酒気帯び運転に対する罰則の新設(3月以下の懲役又は3万円以下の罰金)
      ・ 酒酔い運転の罰則引上げ(2年以下の懲役又は5万円以下の罰金)
 〈昭和53年〉・ 酒酔い運転の点数引上げ(酒酔い運転は15点。違反1回で免許取消し)
 〈昭和62年〉・ 酒酔い運転の罰則引上げ(2年以下の懲役又は10万円以下の罰金)
      ・ 酒気帯び運転の罰則引上げ(3月以下の懲役又は5万円以下の罰金)


注1:身体に一定基準値以上のアルコールを保有した状態で運転すること。「酒酔い運転」に該当しない場合も含まれる。現在の基準では、血液1ミリリットル当たり0.3ミリグラム以上又は呼気1リットル当たり0.15ミリグラム以上のアルコールを保有していれば、罰則の対象となる。
 2:アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で運転すること

 しかし、悪質・危険な運転行為による事故が後を絶たず、また、事故で家族等を亡くした遺族を中心に、これらの厳罰化を求める声が高まってきたことも踏まえ、平成14年に、飲酒運転、過労運転、無免許運転等に対する罰則や違反行為に付する行政処分の基準点数の引上げ等が行われた。また、こうした道路交通法令の改正のほか、13年の刑法改正では、危険運転致死傷罪が新設され、飲酒の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を運転し、人を死傷させた者等に対して、より厳しい罰則が適用されることとなった。警察では、これらを契機に、悪質・危険な違反行為に対する取締りと行政処分を一層強化した。

 
コラム3 平成13年の道路交通法等の改正による悪質・危険運転者対策(14年6月施行)
 [1] 罰則の引上げ
 ひき逃げ、飲酒運転、無免許運転、共同危険行為等の悪質・危険な運転をした者に対する罰則が引き上げられた。

罰則の引上げ
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 [2] 欠格期間の延長
 極めて悪質・危険な運転者(例えば、酒酔い運転をして専ら自己の不注意によって死亡事故を起こした者)に対しては、以前に運転免許の停止・取消し等の処分を受けていなくとも、5年間は運転免許試験を受けることができないこととされた。

 [3] 点数の引上げ
 飲酒運転、無免許運転、共同危険行為等の悪質・危険な違反行為に対する基礎点数、交通事故を起こした場合の付加点数及びひき逃げをした場合の付加点数が引き上げられた。

点数の引上げ
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 [4] 酒気帯び運転の基準値の引下げ
 罰則の対象となる酒気帯び運転の基準値が、呼気中のアルコール濃度0.25ミリグラム/リットル(血液中のアルコール濃度0.5ミリグラム/ミリリットル)から0.15ミリグラム/リットル(血液中0.3ミリグラム/ミリリットル)に引き下げられた。

 また、平成16年11月に施行された道路交通法の一部を改正する法律により、飲酒検知拒否に関する罰則が、5万円以下の罰金から30万円以下(酒気帯び運転の罰金と同額)の罰金に引き上げられた。

 [3] 対策の効果
 昭和63年に再び1万人を超えた交通事故死者数は、その後、諸対策が強化された結果、平成5年以降、再び減少傾向に転じ、8年にようやく、9年ぶりに1万人を下回った。その後も若者を中心に交通事故死者数は減少し、16年には7,358人と、過去最悪であった昭和45年の半数以下にまで減少した。
 交通事故死者数が再び減少に転じた時期は、着用義務化後伸び悩んでいた座席ベルトの着用者率が上昇に転じ、これに伴い自動車乗車中の致死率が低下し始めた時期と一致しており、その後の両指標の相関関係をみても、座席ベルトの着用推進は、交通事故死者数の減少に相当寄与したものと考えられる。
 また、悪質危険運転者対策が強化された平成14年以降、特に飲酒運転に起因する死亡事故件数は激減し、16年には10年前の半数以下の水準となった。
 さらに、近年、速度超過に起因することが多い車両同士の正面衝突、車両と工作物との衝突や路外逸脱といった形態の事故が減少してきており、運転者教育や運転免許制度の充実を図ってきたことも、死者数の減少をもたらしたものと考えられる。

 
図1-15 座席ベルト着用者率と自動車乗車中致死率の推移(昭和56~平成16年)

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(4) 今後の課題
 現在、車両保有台数は9,000万台を超えているが、その伸びは鈍化している。また、運転免許保有者数は7,800万人を超えているが、平成20年代後半には減少に転じると予想されている。このように、自動車交通の成長と拡大は、量的な面では頭打ちとなるとみられる。
 こうした中、平成2年の初心運転者期間制度の導入を契機に、16歳から24歳までの若者の死者数が大きく減少する一方で、65歳以上の高齢者の死者数は高い水準のまま推移している。人口当たりの死者数は3年に、死者の絶対数は5年に、16歳から24歳までの若者に代わって65歳以上の高齢者が最も多くなった。こうした傾向は、今後の少子高齢化の進展に伴い、ますます強まるものと見込まれる。

 
図1-16 年齢層別死者数の推移(昭和50~平成16年)

図1-16 年齢層別死者数の推移(昭和50~平成16年)
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 また、自動車乗車中の死者数は、近年大きく減少しているものの、依然として歩行中や自転車乗用中の死者数を上回り、状態別では最も多くなっている。このうち高齢者に関するものは、16年では全体の24.5%を占め、15年以降、他の年齢層に関するものと比べて最も多くなっている。

 
図1-17 状態別死者数の推移(昭和50~平成16年)

図1-17 状態別死者数の推移(昭和50~平成16年)
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図1-18 年齢層別自動車乗車中死者数の推移(昭和53~平成16年)

図1-18 年齢層別自動車乗車中死者数の推移(昭和53~平成16年)
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 一方、歩行中や自転車乗用中の死者数は、比較的減少幅が小さいが、このうち高齢者の占める割合は、歩行中では約3分の2に当たる66.3%、自転車乗用中では59.5%と非常に高い。

 
図1-19 年齢層別歩行中死者数(平成16年)

図1-19 年齢層別歩行中死者数(平成16年)
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図1-20 年齢層別自転車乗用中死者数(平成16年)

図1-20 年齢層別自転車乗用中死者数(平成16年)
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 以上のことから、今後、交通事故死者数を減少させる上で、高齢者の交通安全対策が最も重要な課題の一つであると言える。
 また、死者数が減少する一方で、交通事故発生件数は車両保有台数の増加にほぼ比例するように増加し続けており、これを抑止することも大きな課題である。

 第1節 交通事故との闘いの軌跡

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