第2章 日本警察50年の軌跡と新たなる展開 

(1) 70年安保闘争と極左暴力集団の尖(せん)鋭化

 極左暴力集団は、ベトナム戦争を契機とした反戦・反米気運や学園紛争から生じた反体制ムードの高まりを背景に、45年の日米安全保障条約の改定に照準を合わせ、過激な70年安保闘争を展開した。第一次羽田事件(42年)、新宿騒擾事件(43年)、4・28沖縄闘争(44年)等の集団武装闘争が連続的に繰り広げられ、学園紛争や成田闘争等とあいまって、政治や社会の現状に不満を抱く学生や労働者を巻き込み、大規模なものとなった。
 45年に日米安全保障条約が自動継続となって以降、その活動は次第に尖(せん)鋭化していった。武装闘争は、警視庁警務部長宅爆破殺人事件(46年)、あさま山荘事件、テルアビブ・ロッド空港事件(47年)、三菱重工ビル爆破事件(49年)と際限なく過激化し、多数の死者を伴う集団内部の抗争も繰り返されたが、その過激さから、それまで同調してきた学生や労働者の支持は急速に失われ、極左暴力集団は社会的に孤立していった。
 こうした中、49年春闘では、官公労を中心に「賃金の大幅引上げ」、「スト権奪還」等をスローガンに波状的な闘争が取り組まれ、日教組4・11地方公務員法違反事件のような官公労働者の違法ストや労働組合の組織対立をめぐる労働事件が多発した。
 一方、右翼は、安保闘争の高揚や、45年の日本共産党の民主連合政府構想等に刺激され、宮本日本共産党委員長襲撃事件(48年)等を引き起こした。また、三島事件(45年)を契機として、反米・反体制を主張する「新右翼」も誕生した。

 
東大封鎖解除事件(写真提供:共同通信社)

東大封鎖解除事件(写真提供:共同通信社)

 第2節 日本警察50年史

テキスト形式のファイルはこちら

前の項目に戻る     次の項目に進む