第1節 国際テロ情勢

1 米国における同時多発テロ事件
(1)事件の発生と米国等による軍事行動
ア 事案概要
 2001年(平成13年)9月11日に発生した米国における同時多発テロ事件(以下「同時多発テロ事件」という。)は、旅客機4機を同時にハイジャックし、乗員・乗客と共に標的に突入させるという前例のない手口により、テロ事件としては過去最悪の3,000人を超える犠牲者(行方不明者を含む。)を出し、世界に衝撃を与えた。
 ニューヨークでは、同日午前8時45分(日本時間午後9時45分)ころ、マンハッタン島南端にある超高層ビルである世界貿易センタービルの北棟にアメリカン航空11便(ボストン発ロサンゼルス行き)が激突、さらに午前9時5分(日本時間午後10時5分)ころ、南棟にユナイテッド航空175便(ボストン発ロサンゼルス行き)が激突した。航空機は、ビルに激突後爆発炎上し、世界貿易センタービルは両棟とも倒壊した。
 ワシントンでは、同日午前9時39分(日本時間午後10時39分)ころ、アメリカン航空77便(ワシントン発ロサンゼルス行き)が国防総省ビルに激突し、同ビルが炎上した。また、ペンシルベニア州では、同日午前10時10分(日本時間午後11時10分)ころ、ユナイテッド航空93便(ニューヨーク発サンフランシスコ行き)が墜落した。携帯電話で地上と連絡をとっていた同機の乗客らは、世界貿易センタービルへのテロ攻撃の事実を知り、ハイジャック犯に対抗したものとみられ、同機は、操縦かんを取り合う闘争があったことを示す異常な動きを何度も見せながら飛行を続けた後、同州ピッツバーグ近郊に墜落した。
イ 捜査状況
 アシュクロフト米国司法長官は、2001年9月27日、4機の旅客機をハイジャックした実行犯19人を公表した。会見に同席したロバート・モラー米国連邦捜査局(FBI)長官は、「容疑者の中にイスラム過激派アル・カーイダに関係する人物が含まれている証拠をつかんだ」と語り、事件にオサマ・ビンラディンが関与していることを公表した。
 FBIが実行犯として発表した19人は、いずれもアラブ人であり、このうち15人がサウジアラビア出身、7人が航空機の操縦免許を有していた。彼らは5年以上前から飛行訓練等の準備をしていたものと推定されており、テロは周到に準備されていたことが判明している。
 さらに、10月10日、ブッシュ米国大統領は、国際テロリスト22人の「指名手配リスト」を発表した。リストには、米国が同時多発テロ事件の首謀者として名指ししているオサマ・ビンラディン、同人の側近といわれるアイマン・アルザワヒリ、ムハマド・アテフ両容疑者のほか、過去の対米テロ関係者も含まれており、米国のテロとの対決姿勢を改めて強く示すものとなった。
 その後、米国は、出入国管理に関する法律に違反した容疑で2001年8月に逮捕していたモロッコ系フランス人ザカリアス・ムサウィを、同時多発テロ事件にかかわった容疑で、11月11日に起訴した。起訴状によると、同容疑者は、アフガニスタンの「アル・カーイダ」の軍事訓練キャンプで訓練を受け、19人のテロ実行犯と同様にドイツや中東から送金を受けていたとされる。
 また、2001年12月22日、パリ発マイアミ行きアメリカン航空機を靴底に隠した爆発物で爆破しようとした英国人リチャード・リードが逮捕された。FBIは、この自爆テロ未遂事件が、同時多発テロ事件と並行して画策された組織的テロ計画の一部であったことを明らかにした。
ウ 米国等によるアフガニスタンにおける軍事行動
 米国政府は、2001年(13年)10月8日(日本時間)、アフガニスタンを実効支配しオサマ・ビンラディンを庇護下に置いているといわれるタリバーン政権に対する軍事行動を開始した。
 12月7日、タリバーンは、最後の重要拠点であったカンダハルを明け渡し、ブッシュ大統領は、対タリバーン戦の勝利を宣言した。その後も米軍は、アフガニスタン各地に「アル・カーイダ」のメンバーが依然多数潜伏しているとして、アフガニスタンにおける軍事行動を継続すると述べた。2002年(14年)7月末日現在、オサマ・ビンラディンの所在は、依然不明のままである。

(2)我が国の対応
ア 政府の対応
 政府は、同時多発テロ事件発生後直ちに、首相官邸で安全保障会議を開催し、邦人の安否確認、国内の米国関連施設の警戒等6項目の政府対処方針を決定した。また、その後、在日米軍施設等の警備強化、自衛隊の艦艇派遣等による協力支援活動を実施するなど、引き続き米国及び国連等国際社会と協調して各種対策を推進した。
イ 警察の対応
 警察庁では、事件発生後、警備対策本部を設置し、全国警察に対し、テロ関連情報の収集強化、米国関連施設及び原子力発電所等重要施設の警戒強化、ハイジャック防止対策、生物化学テロ対策等の警備諸対策の徹底を指示した。
 同時に、特殊部隊(SAT)に待機命令を出し、国内でのテロ発生等に備えるとともに、国際テロ緊急展開チーム(TRT)を米国に派遣し、関係機関との情報交換等に当たらせた。
 また、10月以降、米国における炭疽菌事件を模倣した、白い粉を郵送するなどの事案が我が国で相次いだが、NBCテロ対応専門部隊等が出動して迅速に対応することなどにより、国民の不安感の解消に努めた。

2 世界のテロ情勢と我が国への脅威
(1)アル・カーイダの台頭
ア イスラム過激派「アル・カーイダ」
 同時多発テロ事件で世界に衝撃を与えたイスラム過激派「アル・カーイダ」は、1980年代後半、ソ連のアフガニスタン侵攻で戦ったアラブ人を集めて、オサマ・ビンラディンによって結成された。
 組織の目標は、彼らが非イスラム的とみなす政権を転覆させ、イスラム諸国から西洋人や非イスラム人を追放することを通じて世界中に汎イスラム主義のカリフ統治国を樹立することにあるとされる。
 とりわけ、その反米思想については、サウジアラビアへの米軍駐留に対する反発が契機となっており、オサマ・ビンラディンは、1998年(平成10年)、「米軍がイスラムの地(注)から出ていくまでは、米国人とその同盟者に関しては、市民であろうと軍人であろうと、いかなるところでもこれを殺害せよ。これは聖戦(ジハード)である」との宗教令(ファトワ)を発するなど、その反米姿勢を明確にしている。
(注)アラビア半島とみられる。
 米国国務省の発表によれば、「アル・カーイダ」による主なテロ事件には、2001年(13年)の同時多発テロ事件のほか、ケニアとタンザニアにおける米国大使館爆破事件(1998年(10年)8月。少なくとも301人死亡、5,000人以上負傷)、イエメンにおける米国海軍軍艦コール爆破事件(2000年(12年)10月。米国人乗組員17人死亡)等がある。
イ 他のテロ組織との関係
 「アル・カーイダ」と関係しているとみられる主な組織は、アラブ諸国のイスラム過激派では、1997年(9年)にルクソールで邦人10人を含む観光客ら62人を殺害したエジプトの「イスラム集団(GI)」、1981年(昭和56年)にサダト大統領(当時)を暗殺したエジプトの「ジハード団」、連続爆弾テロや住民の虐殺を行ったアルジェリアの「武装イスラム集団(GIA)」等が挙げられる。
 欧州でも、近年、英国、フランス、ドイツ、イタリア等でイスラム過激派の摘発が行われており、その捜査等から、欧州のほぼ全域に「アル・カーイダ」のネットワークが存在していることが明らかになった。そのうち、ドイツでは、米国が同時多発テロ事件の実行犯として公表した19人のうち3人が、ハンブルクに学生の身分で在住し、欧州各国等を偽造旅券で往来するなどして、「アル・カーイダ」のメンバーや協力者と連絡を取り合い、資金援助を受けていたとみられている。
 アジアでは、1999年(平成11年)にキルギスで日本人技師拉致事件を引き起こしたウズベキスタンの「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」、インドとの係争地であるカシミール地方のパキスタン帰属を主張してテロを続けるパキスタンの「ハラカト・ウル・ムジャヒディン(HUM)」などの組織に加え、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピンでのイスラム国家樹立を目指し、2002年(14年)1月にはマレーシア、シンガポールで米艦船、米軍基地等の米国権益に対するテロを計画していたとして摘発された「ジェマア・イスラミア(JI)」、フィリピンでのイスラム国家樹立を目指し、フィリピン、マレーシアで誘拐事件を引き起こしているフィリピンの「アブ・サヤフ・グループ(ASG)」等が「アル・カーイダ」と関係しているとみられる。
 さらに、アフリカでも、過去に米国大使館が「アル・カーイダ」によるテロの標的にされたケニアやタンザニア、国内に内紛を抱えるソマリア等の地域については、タリバーン政権崩壊後の「アル・カーイダ」の新たな拠点となる可能性がある。
 このような広範なネットワークを活用してテロを準備し、実行できることがイスラム過激派の脅威となっている。

(2)イスラム過激派と民族独立運動
 イスラム過激派は、宗教思想に基づくテロに加え、民族独立を主張するテロも引き起こしている。  中東地域では、2001年(平成13年)11月から年末にかけて「イスラム抵抗運動(ハマス)」、「パレスチナ・イスラミック・ジハード(PIJ)」等のイスラム過激派によるイスラエル国民等をねらった自爆テロが連続して発生し、多数の死傷者を出した。その後、国際社会からの自爆テロに対する厳しい非難を受けて、ハマス、PIJの両組織は、自爆テロを停止する声明を出し、一時小康状態を保っていたが、2002年(14年)に入り、PIJはこれを撤回し、ハマスも武装闘争再開の姿勢を打ち出し、再び自爆テロが続発する事態となっている。
 また、インド・パキスタンの紛争が続くカシミール地方では、「アル・カーイダ」との関係が疑われているHUMや、「ヒズブ・ウル・ムジャヒディン」、「ラシュカル・エ・トイバ」等によるテロ活動が確認されている。2001年(13年)12月にはインド国会議事堂を武装グループ5人が襲撃する事件が発生している。

(3)大量破壊兵器テロの脅威等
 従前のテロは銃器や爆弾によって行われることが多かったが、同時多発テロ事件の発生以降、核兵器、生物化学兵器等の大量破壊兵器がテロリストの手に渡ることの脅威が改めて認識された。2002年(平成14年)5月に米国で身柄を拘束された「アル・カーイダ」活動家ホセ・パディージャは、いわゆる「汚い爆弾」(通常火薬の爆発による衝撃で放射性物質を拡散させ、周囲の人間に放射線障害を引き起こす爆弾)によって米国を攻撃する計画を立てていたとされる。
 また、イスラム過激派によるテロの特徴的な手口として自爆テロがあるが、自爆テロを引き起こしたテロリストは殉教者として扱われ、遺族に対しても組織的な生活支援が行われること等から、人混みを狙った自爆テロの発生は増加の一途をたどっている。

(4)我が国に波及するテロの脅威
 近年、我が国の権益や在外邦人へのテロの脅威が一層高まっている。
 同時多発テロ事件では、ハイジャックされた旅客機に搭乗していた邦人と世界貿易センタービルの崩壊に巻き込まれた邦人の合わせて24人が犠牲となっている。
 我が国には、イスラム過激派がテロの対象としてきた米国関連施設が多数存在しており、これらを標的としたテロの発生が懸念されるほか、我が国が米国の軍事行動に対する支持を明確にし、イスラム過激派によるテロの根絶を目指す国際社会と共同歩調をとっていることから、我が国がテロの標的とされる可能性も否定できない。また、我が国にはイスラム諸国からの来訪者が多数在留してコミュニティを形成しており、こうしたコミュニティがイスラム過激派がテロを引き起こす際に悪用される可能性も懸念される。
 2001年(平成13年)中は、同時多発テロ事件のほか、以下の事件により邦人が被害に遭った。
 1月27日、香港発アブダビ行きのガルフ航空機でハイジャック未遂事件が発生した。犯人はイラク人で、乗員をナイフで脅迫したが取り押さえられた。同機には、邦人6人を含む乗員乗客216人が搭乗していた。乗員2人が負傷したが、邦人は全員無事であった。
 2月22日には、コロンビアにおいて、現地邦人企業の職員が誘拐される事件が発生した(未解決)。  また、4月22日には、トルコのイスタンブール市内で「チェチェン共和国の支持者」と名乗る武装グループがホテルの宿泊客、従業員等約100人を人質に立てこもった。ホテルの宿泊客には邦人が12人含まれていたが、発生から約12時間後、犯人グループは投降し、人質全員が無事解放された。

3 日本赤軍、「よど号」犯人グループ
(1)日本赤軍
ア 総論
 2000年(平成12年)11月、警察は、日本赤軍最高幹部重信房子を逮捕した。その後、2001年(13年)4月、重信房子は獄中から日本赤軍の解散を宣言し、日本赤軍も同年の「5.30声明」(日本赤軍が1972年(昭和47年)5月30日の「テルアビブ・ロッド空港事件」を記念して毎年5月30日前後に発出している声明)で、組織としてこれを追認した。
 しかし、日本赤軍は過去のテロ行為について清算・総括を行っていないばかりか、解散宣言後に結成された「ムーブメント「連帯」」は、依然として多数の民間人を無差別に殺傷した「テルアビブ・ロッド空港事件」を高く評価するなど、従前と同様の主張を行っており、日本赤軍の本質や危険性に変化はない。同時多発テロ事件についても、重信房子はその手記で、「不公正が生んだ、歴史的な憎悪の蓄積の一つの結果」であり、その後のテロ根絶に向けた国際的取組みを「反テロの名を最大限に利用して、力で世界を創り変える動き」と批判している。
イ 日本赤軍の結成と活動
 1971年(46年)、極左暴力集団「共産同赤軍派」の重信房子らは、同派の「国際根拠地建設」構想(日本革命を達成するため、社会主義国に国際根拠地を建設し、赤軍派の活動家を送り込んで軍事訓練を受けさせ、再び日本に上陸して武装蜂起を決行するという構想)に基づき、レバノンのベイルートに向けて出国し、当時、盛んにテロ事件を起こしていた「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」と接触して「アラブ赤軍」を組織した。
 1972年(47年)5月30日、岡本公三らアラブ赤軍メンバー3人は、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港を襲撃、一般旅行者ら約100人を無差別に殺傷(死者24人)し(「テルアビブ・ロッド空港事件」)、世界から「Japanese Red Army(日本赤軍)」として知られることとなった。1974年(49年)、アラブ赤軍は、その名称を正式に「日本赤軍」とし、世界各地で次々と凶悪なテロ事件を引き起こした。日本赤軍が引き起こした主なテロ事件は、表2-1のとおりである。
ウ 相次ぐメンバーの検挙
 警察は、日本赤軍が海外を主たる活動の場としていることから、各国治安機関との連携を強化して世界規模での追及を行い、1995年(平成7年)以降、相次いでメンバーを検挙した。
 1995年(7年)3月、ルーマニアで浴田由紀子を逮捕したのに続き、1996年(8年)6月にペルーでメンバーを逮捕した。また、同年9月には、城崎勉がネパールで身柄拘束され、同人を国際手配していた米国に移送された。1997年(9年)2月、レバノンが日本赤軍メンバー5人(岡本公三、足立正生、戸平和夫、山本萬里子、和光晴生)を拘束し、2000年(12年)3月、岡本公三を除く4人を国外退去処分とした。警察は、4人が日本に帰国した直後、逮捕状、収監指揮書をそれぞれ執行した。
 さらに2000年(12年)11月、警察は、大阪に潜伏していた日本赤軍最高幹部重信房子を発見、逮捕した。捜査の結果、重信房子は他人名義の旅券で頻繁にアジア諸国に渡航していたことなどが判明した。
エ 日本赤軍の今後
 日本赤軍は、「ムーブメント「連帯」」の結成等により、当面、組織の立て直しを最優先課題として取り組むものとみられ、現時点でテロを引き起こす可能性は必ずしも高くない。しかし、重信はその手記で、同時多発テロ事件後のテロ根絶に向けた国際的取組みに関して、「(米国の)中東への根底的アメリカ化の野望は、ドミノが逆ドミノとなって、イスラエルや中東の現存親米勢力や米国本土へ跳ね返るでしょう」と、対イスラエルテロ、対米テロを予期するかのような記述をしており、かつて「クアラルンプール事件」、「ダッカ事件」等メンバーの奪還をねらったテロに成功している日本赤軍が、協力関係にあるテロリスト、テロ組織の支援を得て、同様のテロを引き起こす可能性は否定できない。
 なお、重信は、「当時のシンボリックな殉教の闘い」(テルアビブ・ロッド空港事件)が、「今、日常的な破壊力として、シャロン政権の虐殺とテロに対する抵抗の方法となって闘われています」として、中東で頻発する自爆テロは、日本赤軍が持ち込んだ戦術であると自負している。
 警察は、日本赤軍による新たなテロの未然防止と組織の真の壊滅のため、今後とも関係機関や各国治安機関との連携を強化し、国際手配中のメンバー7人の早期発見、逮捕等に向け積極的な諸対策を推進していくこととしている。

(2)「よど号」犯人グループ
ア 邦人拉致への関与と北朝鮮との関係
 2001年(平成13年)、「よど号」犯人の元妻が、金日成・北朝鮮主席(当時)の「教示」(指示)に基づき、日本人の獲得工作に従事していた旨を明らかにした。これにより、「よど号」犯人グループが、金日成主義に基づく日本革命の中核を担う人物の獲得工作に従事し、さらに、「代を継いで革命を行わなければならない」という金日成の教示に従い、獲得した日本人男性と結婚させるために日本人女性を拉致した疑いがあることが明らかになった。そして、「よど号」犯人グループが、朝鮮労働党の指導の下、金日成主義に基づく日本革命を目指していることも明らかになった。
 2002年(14年)3月、警察は、「よど号」犯人の元妻の供述を含め、これまでの捜査結果を総合的に検討した結果、1982年(昭和57年)4月に英国留学のため出国した有本恵子さんが、その後欧州で消息を絶った事案について、北朝鮮による拉致の疑いがあると判断するに至った。
イ 「よど号」ハイジャック事件と犯人グループの活動
 1970年(45年)3月31日、極左暴力集団「共産同赤軍派」のメンバー9人は、同派の「国際根拠地建設」構想に基づき、東京発福岡行きの日本航空351便、通称「よど号」をハイジャックし、北朝鮮に入国した。
 警察は、「よど号」犯人を国際手配していたが、1988年(63年)5月、我が国に潜入していた犯人の1人を逮捕したほか、2000年(平成12年)6月、犯人の1人である田中義三を逮捕したタイ当局から同人の身柄引渡しを受け、逮捕した。
 1988年(昭和63年)、欧州で北朝鮮工作員と接触していた日本人女性6人に対して外務大臣が旅券返納命令を出したが、現在、この6人が全員「よど号」犯人の妻(1人は元妻)であることが判明している。このうち、元妻を除く5人が返納命令に違反したため、警察は旅券法違反で国際手配して行方を追及している。2001年(13年)9月には、その1人である赤木恵美子を旅券法違反等の容疑で逮捕した。
 「よど号」犯人は、北朝鮮入国後、金日成主義に従い、頻繁に北朝鮮を出て各国で活動していたことが判明している。9人のメンバーのうち、2人が逮捕され、2人が死亡し、現在北朝鮮に留まっている犯人は5人とみられる(「よど号」グループは、このうちの1人が妻とともに死亡したと発表しているが、現在まで確認されていない。)。メンバーは、上記の日本人女性らと結婚して子供をもうけ、貿易会社の経営等、経済活動を行う一方、表向きは妻子の帰国を優先課題とする活動を行っている。

4 北朝鮮による国際テロ等
(1)北朝鮮による過去の主なテロ事件
 北朝鮮は、朝鮮戦争以降、南北軍事境界線を挟んで韓国と軍事的対峙関係にあり、韓国に対する工作活動の一環として、これまでに、「韓国大統領官邸(青瓦台)襲撃未遂事件」(1968年)、「ビルマ・ラングーン事件」(1983年)、「大韓航空機爆破事件」(1987年)等の国際テロ事件を引き起こしている。北朝鮮による主なテロ事件については、表2-2のとおりである。

(2)北朝鮮の我が国及びその周辺での活動
 我が国においては、戦後約50件の北朝鮮関係の諜報事件が検挙されており、対韓国工作の拠点としての活動、在日米軍に関する情報収集活動等が行われているとみられる。
 1999年(平成11年)には、2隻の不審船が能登半島沖の我が国領海内で発見され、海上保安庁及び海上自衛隊による停船命令に応じず、警告射撃等を無視して逃走する事案が発生し、当該不審船は北朝鮮の工作船であったと判断された。

(3)最近の北朝鮮の動向
 1987年(昭和62年)の「大韓航空機爆破事件」以後、北朝鮮の関与が明らかなテロ事件の発生はなく、また、2001年(平成13年)9月の同時多発テロ事件以後、北朝鮮は、テロに反対する立場を表明している。
○ 2001年9月12日、北朝鮮の外務省スポークスマンが「共和国(北朝鮮)は、国連加盟国として、あらゆる形態のテロリズム及びそれに対するあらゆる支援に反対しており、この立場が変わることはない。」との声明を発表。
○ 同年11月12日、北朝鮮は、「テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約」等に署名。  しかし、北朝鮮は、依然として「よど号」犯人グループを保護しており、米国国務省も継続して北朝鮮を「テロ支援国家(State Sponsors of Terrorism)」と認定している。さらに、ブッシュ・米国大統領は、2002年(14年)1月29日、一般教書演説の中で、北朝鮮をイラン、イラクとともに「世界平和を脅かし、テロリストに武器を与える悪の枢軸」と表現している。
 一方、2001年(13年)12月、九州南西海域において、船体特徴等が過去の北朝鮮工作船と酷似している不審船が海上保安庁の巡視船に対し、自動小銃及びロケットランチャー様のもので攻撃する事案が発生した(第7章「対日有害活動の現状」参照)。
 このような情勢の下、警察は、北朝鮮の動向が我が国の治安に及ぼす影響に、引き続き十分な注意を払っているところである。

(4)日本人拉致容疑事案
ア 件数
 警察では、2002年(平成14年)3月、欧州において日本人女性が消息を絶った事案について、北朝鮮による拉致の疑いがあると判断した。これを含めて、北朝鮮による日本人拉致容疑事案は、これまでに8件発生し、11人が行方不明になっている(表2-3)。
イ 目的
 北朝鮮による日本人拉致容疑事案について、その目的は必ずしも明らかではないが、諸情報を総合すると、北朝鮮工作員が日本人のごとく振る舞えるようにするための教育を行わせることや、北朝鮮工作員が日本に潜入して、拉致した者になりすまして活動できるようにすることなどがその主要な目的とみられる。
ウ 北朝鮮の反応
 北朝鮮は、これまで拉致については一貫して否定しており、日朝赤十字間の合意に基づいて「日本人「行方不明者」の消息調査事業」を行うとしてきたが、2001年(13年)12月には、朝鮮赤十字会が突然、これを「全面的に中止する」旨を発表した。
 しかしながら、「欧州における日本人女性拉致容疑事案」が北朝鮮による拉致の疑いがあると判断されたことを受け、北朝鮮は、2002年(14年)3月22日、疑惑を否定する一方で、行方不明者の調査事業の継続を発表した。その後、日朝間で各種の協議が行われ、9月17日に開催された日朝首脳会談の席上、金正日総書記は、拉致問題について、北朝鮮の特殊機関の一部の妄動主義者らが英雄主義に走ってかかる行為を行ってきたと考えているとの認識を示し、謝罪した。
エ 捜査状況
 警察は、これらの北朝鮮による日本人拉致容疑事案については、外務省を始めとする国内外の関係機関と連携しつつ、新たな情報の収集等所要の捜査を継続している。


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