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日本赤軍及び「よど号」グループの動向
1 日本赤軍の動向


1 活動の沿革

 日本赤軍は、マルクス・レーニン主義に基づく日本革命と世界の共産主義化を目的として、国内で警察署の襲撃や、銀行強盗等の凶悪な犯罪を犯した過激派グループの一派が、「国際根拠地論」を打ち出して、海外に革命の根拠地を求めて脱出した後に結成された国際テロ組織です。
 重信房子らが、当時、盛んにテロ事件を起こしていた「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」と接触するなどして中東に活動基盤を形成した日本赤軍は、1972年(昭和47年)5月、イスラエル・テルアビブ国際空港(現・ベングリオン空港)で、メンバー3人が自動小銃を乱射するなどし、24人を死亡させ、76人に重軽傷を負わせる「テルアビブ・ロッド空港事件」を引き起こし、その後も世界各地で、外国大使館の占拠や航空機のハイジャック等の凶悪な犯罪を引き起こしました。特に、1975年(50年)8月のマレーシア・クアラルンプール所在の米国大使館等を占拠した「クアラルンプール事件」や、1977年(52年)9月のパリ発東京行き日航機をハイジャックした「ダッカ事件」では、我が国政府は、在監・勾留中の日本赤軍メンバー等の釈放を余儀なくされました。

2 相次ぐメンバーの逮捕

 警察は、外国治安情報機関等との連携を強化して、世界各地で日本赤軍メンバーに対する懸命な捜査を行い、ルーマニア、ペルー、ボリビア等でメンバーを相次いで検挙しました。また、1997年(平成9年)2月には、長年にわたって活動の根拠地としてきたレバノンに潜伏していた日本赤軍メンバー5人が一斉に検挙され、同国への政治亡命が認められた岡本公三を除く4人は、2000年(12年)3月に国外退去処分となり、警察は、帰国と同時に4人を逮捕・収監しました。

日本赤軍メンバー4人の逮捕・収監(2000年(平成12年)3月)(共同)

3 最高幹部重信房子の逮捕と日本赤軍の解散宣言

 レバノンという活動の根拠地を失った日本赤軍は、地理的・文化的に日本に近いアジア地域を、国内における組織固めや国際戦線の新たな戦略上の拠点と位置付けました。こうした中、警察は、2000年(12年)11月、国内に潜伏していた日本赤軍最高幹部重信房子を大阪で逮捕しました。
 2001年(13年)4月、重信房子は、獄中から、日本赤軍の解散を宣言する声明を発表し、日本赤軍も、同年5月に発出した「五・三〇声明」(「テルアビブ・ロッド空港事件」を記念し、日本赤軍が毎年5月30日前後に発出している声明)で、これを追認しました。しかし、この解散宣言では、「テルアビブ・ロッド空港事件」を依然として評価しており、また、同年12月には新組織「連帯」(後に「ムーブメント「連帯」」に改称)を立ち上げ、事実上、日本赤軍の継承組織として活動を開始しています。

4 警察の対応

 現在、日本赤軍は、重信房子の逮捕に伴い、組織の建て直しと新たな活動拠点の構築を最優先課題として取り組んでおり、テロ活動を再開する可能性は相対的に低下しているものとみられます。しかし、その一方で、テロ組織としての性格を依然として堅持しており、その危険性に変化はなく、警察は、逃亡中のメンバー7人の早期発見・逮捕に向けた取組みを推進しています。

我が国が国際手配中の日本赤軍メンバー



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