表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編

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機動隊の活動概要
1 機動隊の発足

 機動隊は、徹底した訓練を受けた精強部隊の整備強化を目的として、昭和27年8月に20の都道府県に創設し、その後、37年4月までに全都道府県警察に設置しました。
 さらに44年4月には道府県警察の警備力の広域運用を図るため、管区機動隊等を設置し、また、53年7月には、新東京国際空港(当時)の警備に当たる部隊として、千葉県警察に新東京国際空港警備隊(平成16年4月「成田国際空港警備隊」に名称変更)を設置しました。

2 機動隊の活躍

 機動隊は、戦後の混乱と政情不安の中、治安維持の重責を担ってきました。第一次安保闘争警備では、連日、国会周辺において激しいデモ警備に従事し、また、昭和40年代からの激動の時代には、全国各地の学園紛争やその後の成田空港問題等をめぐって、ヘルメット、鉄パイプ、火炎ビンを所持した過激派の激しい街頭武装闘争を鎮圧してきました。
 さらに、「あさま山荘事件」(47年2月)や「連続企業爆破事件」(49年から50年)にみられるような銃器、爆弾を使用した凶悪な事件にも、常に治安の砦としてこれに敢然と立ち向かい、治安の確保に努めました。
 しかしながら、これら活躍の陰には、警備活動中に殉職した先人の尊い犠牲があることを忘れられません。
 近年では、重要な警衛・警護警備、阪神・淡路大震災警備、オウム真理教関連警備、長野オリンピック警備、九州・沖縄サミット警備、2002年ワールドカップサッカー大会警備等、全国的な警備活動において旺盛な士気と強固な団結により、治安維持における精鋭部隊として、その力を遺憾なく発揮して、それぞれの任務を全うし、警備の成功に大きく貢献しました。

蒲田駅周辺における過激派の検挙
蒲田駅周辺における過激派の検挙
(昭和44年、東京) 
成田三里塚交差点における過激派の検挙
成田三里塚交差点における過激派の検挙
(昭和60年、千葉)

3 機能別部隊の充実

 機動隊の中には専門能力を発揮する部隊として、爆発物処理班、機動救助部隊、水難救助部隊、銃器対策部隊、NBCテロ対策班等の機能別部隊が編成されているほか、一部都道府県警察にはハイジャックや人質立てこもり事件等に対処するための特殊部隊(SAT)が設置されています。また、一部の都道府県警察には高度な装備資機材を装備したNBCテロ対応専門部隊が設置されています。
 さらに、大規模災害発生時の初動措置に当たる広域緊急援助隊や国際緊急援助隊が全国の機動隊員、管区機動隊員等で編成されており、最近では、国際緊急援助隊が「アルジェリア地震」や「モロッコ地震」の災害現場に派遣され、その活動は海外からも高い評価を受けています。

特殊部隊(SAT)の訓練
特殊部隊(SAT)の訓練
「アルジェリア地震」で救助活動に当たる国際緊急援助隊
「アルジェリア地震」で救助活動に当たる
国際緊急援助隊(平成15年)

4 機動隊の多角的運用

 機動隊は、主要な警衛・警護警備、台風、地震等の災害警備、祭礼、催し物の雑踏警備に当たるほか、集団警備力としての特性を生かしつつ、繁華街、盛り場における集団警ら、暴力団対策、暴走族の一斉取締り等部門の枠を越えた多角的な活動を行っています。

街頭犯罪抑止活動のため集団パトロールを実施
街頭犯罪抑止活動のため集団パトロールを実施
(平成15年、東京)

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