表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編

<<前へ   次へ>>

対日有害活動
1 ロシアによる対日有害活動

1 ソ連時代

 戦後、東西冷戦の中、我が国が自由主義陣営の重要な一翼を担うに至り、ソ連を中心とする国際共産主義運動勢力による対日有害活動が活発に行われるようになりました。
 ソ連が、外交官、通商代表部、ジャーナリスト等をカバーとして相当数の情報機関員を我が国に送り込み、内外政策や軍事、科学技術に関する諜報活動や高級政府職員を始めとする日本人エージェントを運営して様々な対日有害活動を行っている実態が、「ラストボロフ事件」(昭和29年1月)、「コノノフ事件」(46年7月)、「レフチェンコ証言」(57年12月)等により明らかにされました。
 また、ソ連は、日本漁船に対する拿捕攻勢を強めて「レポ船」(注)を徴募し、情報収集を行いました。警察は、「第11幸与丸事件」(49年12月)、「第65秀栄丸事件」(平成3年11月)等のレポ船事件を検挙しました。
 (注)レポ船とは、ロシア(ソ連)国境警備隊等から、拿捕等の際に働き掛けを受け、又は自ら進んで、我が国の政治、外交、防衛の情報や金品をロシア側に提供する見返りに、ロシアが実効支配している北方領土周辺海域において、ロシア側の承諾の下に、安全に操業できることを認められた漁船をいう。

(1) ラストボロフ事件(昭和29年1月)
 米国に亡命した在日ソ連通商代表部二等書記官ラストボロフは、ソ連の秘密情報機関が日本のあらゆる政府機関に手先を送り込ませていること、自身が情報機関員で外交官を装って日本の内外政策について情報活動に従事していたことを明らかにしました。ラストボロフの供述に基づき、警視庁は、外務省事務官を国家公務員法違反で、貿易会社社長を外国為替及び外国貿易管理法違反で検挙しました。
(2) コノノフ事件(昭和46年7月)
 在日ソ連大使館付武官補佐官ハビノフ陸軍中佐及びコノノフ空軍中佐が、米軍基地に出入りしていた通信機器部品の販売ブローカーであるAに巧みに働き掛けを行い、多額の現金と引換えに米軍機密資料等の入手を企てていた事件で、警視庁は、Aを刑事特別法違反で検挙しました。ソ連側は、スパイの誓約書に署名させた上、交信用の暗号表、乱数表、タイムテーブル等を手渡し、Aを本格的スパイに仕立て上げていました。
(3) レフチェンコ証言(昭和57年12月)
 KGB機関員のノーボェ・プレーミヤ誌東京支局長レフチェンコが、米国議会でソ連の工作活動について証言し、多数の日本人エージェントを運営して、政治工作を行っていた実態を明らかにしました。
北海道周辺海域で活動するロシアの警備艇ソコール
北海道周辺海域で活動するロシアの警備艇ソコール(パウク型)
(平成15年6月4日、北海道)
 

2 ロシア連邦の誕生、KGBの解体

 ソ連崩壊後のロシアにおいても、KGB(国家保安委員会)の流れを汲むSVR(対外情報庁)やFSB(連邦保安庁)、軍の情報機関であるGRU(軍参謀本部情報総局)を存続させ、スパイ活動を展開しました。警察は「イリーガル機関員による旅券法違反事件」(平成9年7月)や「通商代表部員に係る業務上横領事件」(同年12月)等を検挙し、ロシアが我が国において従前どおりのスパイ活動を継続している実態を解明しました。

(1) イリーガル機関員による旅券法違反事件(平成9年7月)
 SVRに所属するイリーガル機関員(国籍を偽るなど身分を偽装して入国しスパイ活動を行う者)が昭和40年頃から約30年にわたり我が国内外においてスパイ活動を行っていた事件で、警視庁は、被疑者宅から乱数表、受信機等を押収し、同人がSVR本部と連絡を取っていたことを確認しました。さらに、SVR機関員とみられる在日ロシア大使館一等書記官が、関係者の活動に深く関与していた実態を解明しました。警察は、ICPO事務総局を通し被疑者に対する国際手配を行っています。
(2) 通商代表部員に係る業務上横領事件(平成9年11月)
 日本人翻訳家が、SVR機関員とみられる在日ロシア通商代表部員からスパイ工作を受け約7年にわたりハイテク技術関係のスパイ活動を行っていた事件で、警視庁は、翻訳家を業務上横領罪で検挙しました。翻訳家は、KGBからSVRへの改組を通じて4人の機関員に運営されていました。

「イリーガル機関員による旅券法違反事件」の
「イリーガル機関員による旅券法違反事件」の押収物
(平成9年7月、警視庁)
 
3 プーチン政権時代

 エリツィン大統領の突然の辞任によりロシアを引き継いだプーチン大統領は、国家の中枢に旧KGB出身者を多数登用して政権基盤を強化しました。プーチン政権下では情報機関の組織や権限などを強化する傾向がみられます。警察は、「ボガチョンコフ事件」(平成12年9月)、「元通商代表部員に係る秘密保護法違反事件」(14年3月)を検挙し、ロシアが米軍や日本の防衛に関する諜報活動を行っている実態を明らかにしました。
(1) ボガチョンコフ事件(平成12年9月)
 GRU機関員とみられる在日ロシア大使館付海軍武官ボガチョンコフ大佐が、日ロ防衛交流を奇貨として知り合った海上自衛官から自衛隊内の秘密文書を入手していた事件で、警視庁と神奈川県警察の合同捜査本部が、同自衛官を自衛隊法違反(秘密漏えい罪)で検挙しました。自衛官は、同武官から現金等を受け取り、その見返りとして自衛隊内の秘密文書や内部資料を渡していました。
(2) 元通商代表部員に係る秘密保護法違反事件(平成14年3月)
 GRU機関員とみられる在日ロシア通商代表部員が、防衛調達関連会社社長に対し、米国から供与された情報で我が国の「防衛秘密」であるレーダー誘導ミサイル等に関する情報入手をそそのかしていた事件で、警視庁が、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法違反(防衛秘密の探知収集の教唆罪)で検挙しました。

2 中国による対日有害活動

1 日中友好の陰で行われる諜報活動

 戦後、我が国と中国とは昭和25年に貿易が開始され、33年5月の長崎における「中国国旗引き下ろし事件」の発生により一時期停滞はしましたが、37年には「日中覚書貿易協定」が調印されるなど、経済交流は拡大する傾向にありました。
 その後、47年9月に、日中国交正常化が実現し、48年2月には、在日中国大使館が東京に開設されました。
 53年8月には、「日中平和友好条約」が締結され、54年の中国の改革・開放政策等により、中国から大量の代表団や留学生等が来日するようになり、また、我が国から訪中者が増加するなど、両国間の交流は拡大基調をたどっています。
 こうした中、中国は、「社会主義現代化」の達成のため、我が国における情報収集活動等対日諸工作を活発に行っています。
 これら諸工作の中には違法行為も混在しており、その対日有害活動の一端が「汪養然
(おうようねん)事件」(51年1月)や「横田基地中ソスパイ事件」(62年5月)で明らかにされました。
(1) 汪養然事件(昭和51年1月)
 香港において貿易商社3社を経営し、手広く中国貿易を行っていた香港在住中国人、汪養然は、46年ころ、中国情報機関員から「香港において中国と取引する中国人業者は、祖国の建設と祖国防衛に協力する義務がある」と迫られ、中国との貿易取引を継続する見返りとして、日本における軍事、産業技術等の情報収集活動を行うよう指示され、以後、汪養然は、貿易業務を装って頻繁に来日し、内妻宅をアジトに日本人エージェント数人を利用しながら、「中ソ国境地図等のソ連関係情報」、「外国の航空機エンジン等の軍事関係情報」、「我が国の政治、経済、産業技術に関する情報」等の幅広い情報収集活動を行い、51年1月に検挙されました。
(2) 横田基地中ソスパイ事件(昭和62年5月)
 在日ソ連大使館員の働き掛けを受けた中国情報ブローカーAと、中国公司関係者から働き掛けを受けた親中団体幹部Bが、在日米軍横田基地従業員C及び軍事評論家Dらとともに、在日米空軍軍事資料の盗み出し・持ち出しグループを形成し、約8年間にわたり、主として米空軍戦闘機、輸送機のテクニカル・オーダー(技術指示書)を、多額の報酬を得てソ連及び中国に売却していた諜報事件です。Bは、Aからテクニカル・オーダー購入の話を持ちかけられ、訪中の際に公司関係者にテクニカル・オーダー・リストを渡し、55年ころから訪中の都度、同公司関係者から注文を受けて、Aから買い取ったテクニカル・オーダーを中国に売却していました。
 本事件では、Aの自宅から諜報通信受信用タイムテーブルやマイクロフィルム等が発見されています。
「横田基地中ソスパイ事件」で発見したマイクロフィルム
「横田基地中ソスパイ事件」で発見したマイクロフィルム
(昭和62年11月) 
2 依然活発に展開される対日諸工作

 我が国と中国とは、平成元年6月に北京で発生した「天安門事件」の影響から一時関係が冷却化しましたが、その後、様々な問題(歴史認識問題・領土問題等)を抱えながらも各種交流は拡大の一途をたどりました。経済面での交流は特に活発で、現在、我が国にとって中国は世界第2位の貿易相手国であり、中国にとっても我が国は最大の貿易相手国となっています。
 「日中国交正常化30周年」の14年には、5、000人規模の訪日団や、1万人規模の訪中団が往来するなど、各種行事が行われ、また、15年には、「日中平和友好条約」締結25周年として両国で各種行事が行われるなど、活発な交流が行われました。
 中国は、急激な勢いで経済発展しているとされ、15年10月には世界で3番目となる有人宇宙飛行に成功し、その技術力、総合力の高さを内外に示しました。
 中国の有人宇宙飛行に関して、マスコミは、ロシア宇宙当局高官の話として「中国は取れるものは全て取り、取れないものは買うというやり方で技術をあさった」、「今後の協力には気をつけなくてはならない」と報道しています。
 中国は、国家・国防現代化建設のためには我が国からの技術移転が必要不可欠との認識を持っており、公館員を始め公司員、研究者、留学生、代表団等を大量に派遣し、先端技術企業や防衛関連企業関係者等に対する技術移転等の働き掛けを行うなど、活発な情報収集活動を行っています。
 中国の情報収集活動は極めて巧妙で、一般の日中友好交流の中で自然を装って行われているとされ、機関員が前面に出ることなく、日本人エージェント等を活用するなどの方法で、諸工作を展開しています。

中国の有人宇宙飛行船「神舟5号」の打ち上げ
中国の有人宇宙飛行船「神舟5号」の打ち上げ
(平成15年10月)(新華社:共同) 

<<前へ   次へ>>

表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編