表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編

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社会情勢とともに変貌ぼうする大衆・労働運動等
1 大衆運動等

1 反戦運動を軸に盛り上がりをみせた昭和30年代、40年代の大衆運動

 戦後で大規模な大衆運動としては、「60年安保闘争」が挙げられます。これは、昭和34年3月、日米安保条約の改定交渉が本格化する中で、日本社会党、日本労働組合総評議会(以下「総評」という。)等により「安保条約改定阻止国民会議」が結成されたことにより始まったものです。「60年安保闘争」では、34年4月以降35年10月まで、多くの全国統一行動が行われました(新安保条約は、35年6月23日に発効しました)。
 40年に入りベトナム戦争が本格化すると、ベトナム反戦運動が高揚しました。41年10月21日には、総評により「ベトナム反戦統一スト」が行われ、以降、毎年10月21日には、「国際反戦デー闘争」が行われることとなりました。
 新安保条約の期限が切れる45年(同年6月に自動継続となりました。)に向けては、条約を再改定するか又は自動継続するかが問題となりましたが、これをめぐり、「70年安保闘争」が42年後半以降45年までにわたって取り組まれました。

「国会構内乱入事件」
「国会構内乱入事件」
(昭和34年11月27日、東京)(読売)
 

2 取組み課題及び主体が多様化した50年代、60年代の大衆運動

 昭和50年代以降になると、全国各地で原子力発電所が次々と建設され、運転を開始したのに合わせて、反原発運動が活発化しました。
 具体的には、原子力発電所の建設に伴う公開ヒアリングに対する反対闘争、核燃料の輸送に対する反対闘争等が取り組まれました。とりわけ、「ソ連チェルノブイリ原発事故」(61年4月)の発生を契機に原発施設の立地道県以外の地域においても反原発市民グループが数多く結成されるなど、反原発運動は、従来の農民、漁民や労働組合を中心とした地域的なものから、主婦等を含む幅広い層の人々が参加した全国的なものになりました。
 これらの取組みの過程では、高さ30メートルの送電鉄塔に登り原発施設への送電を妨害するなど、各種の違法事案が発生しました。
 このほか、58年の「ロッキード裁判」の判決をめぐる「徹底糾明」及び「反金権、政治倫理確立」を求める集会、デモや62年の売上税法案に対する反対集会、デモ等の政治課題をとらえた大衆行動が活発に取り組まれました。


3 反基地、反戦運動を軸に盛り上がりをみせた平成以降の大衆運動

 平成の大規模な大衆運動としては、沖縄の反基地運動が挙げられます。同運動では、平成7年9月に沖縄県内で発生した「米兵による女児暴行事件」、駐留軍用地特別措置法案審議や普天間基地代替ヘリポート建設等をめぐり、約5万8,000人が参加した集会(7年10月)が沖縄県内で開催されたのを始め、これに連帯する集会、デモ等が全国で取り組まれました。また、沖縄米軍基地の整理・縮小の一環として、米海兵隊が実施していた「県道104号線越え実弾砲撃演習」の本土移転に反対する集会、デモ等が全国で開催されるなど、反基地運動が全国規模で盛り上がりをみせました。
 このほか、反戦運動では、湾岸戦争(3年1月)や「米国における同時多発テロ事件」に伴う米英軍によるアフガニスタンへの軍事行動(13年10月)、米国等によるイラクに対する武力行使(15年3月)及び自衛隊のイラク派遣(15年12月)、ガイドライン関連法案(11年5月成立)や有事関連三法案(15年6月成立)の国会審議をめぐり、活発な取組みが行われました。
 最近の取組みでは、党派や従来の主義主張等の枠を超えた集会、デモが行われるなど、運動のボーダーレス化が特徴としてみられます。とりわけ、米国等によるイラクに対する武力行使前後に東京都内で行われた市民団体主催の集会、デモでは、国際的な反戦運動との相乗効果や、インターネット、新聞広告等を利用した呼び掛けが行われたことなどにより、労組、宗教団体等の多様な勢力に加え、一般市民が多数参加し、盛り上がりをみせました。また、デモの途中や米国大使館への抗議行動の際に規制に当たっていた警察官に暴行を加えた者が、公務執行妨害罪で逮捕されるなどの事案が続発しました。

「米兵による女児暴行事件」に抗議する沖縄県民総決起集会   米国等によるイラクに対する武力行使に反対するデモ
「米兵による女児暴行事件」に抗議する
沖縄県民総決起集会(平成7年10月21日、沖縄)(共同) 
  米国等によるイラクに対する武力行使に反対するデモ(共同)

4 新たな動きがみられる最近の大衆運動等

 近年、国際的な高度情報化の進展と価値観の多様化を背景に、国際会議の開催等の機会をとらえて反グローバリズムを訴えるNGOのインターネットを利用した呼び掛けにより、数万人にも及ぶ抗議行動が行われ、その中で一部の過激なグループによる暴動が発生するという事案が、平成11年11月の米国・シアトルでの世界貿易機関(WTO)第3回閣僚会合以降欧米各国で続発していますが、最近では、これら海外で発祥した団体の関連組織が国内でも結成され、これら組織の呼び掛けにより海外の運動に連動したデモ等が取り組まれるなど、運動基盤の広がりがみられます。
 また、海外の団体、グループが日本国内で抗議行動や違法行為を行うなどの動向もあります。例えば、過激な動物権利運動を展開している海外の組織が、英国を中心に日本企業をターゲットとした嫌がらせや威迫行為等の過激な抗議行動に取り組み、13年7月には国内の動物実験施設への侵入及び窃盗事件を引き起こしました。

WTO閣僚会合に反対するデモ隊によって破壊された喫茶店
WTO閣僚会合に反対するデモ隊によって
破壊された喫茶店
(平成11年11月30日、米国)(PANA) 

2 労働運動

1 戦後から高度成長時代にかけ、活発に取り組まれた労働運動

 昭和20年代前半の労働運動は、経済情勢等が混乱する中、全日本産業別労働組合会議(産別会議)の主導で展開され、22年には「2.1ゼネスト」が計画されるなど高揚しました。
 その後、こうした方針に反発して25年7月に発足した総評は、31年に官民労組が一体となった「春闘」を開始し、その後も高度経済成長を背景に統一闘争に取り組みました。
 35年1月には、総評等が、折からの石炭産業斜陽化の波を受けて発生した三井鉱山株式会社三池鉱業所の企業合理化に基づく同炭鉱労組員の指名解雇に端を発した「三井三池争議」で、ストライキ等の闘争に取り組み、その過程で集団乱闘事件等が発生しました。
 49年春闘では、総評の中心勢力であり、国労、動労等で組織する「公共企業体等労働組合協議会」の違法ストを軸として、官公労を中心に「賃金の大幅引上げ」、「スト権奪還・処分阻止・撤回」、「インフレ阻止・年金・教育をはじめとする国民的諸課題」等をスローガンに波状的な闘争が取り組まれました。その過程では、日教組委員長(当時)を始め起訴された4人全員の有罪が確定した「日教組4.11地方公務員法違反事件」(49年4月)のような官公労働者の違法ストや、労働組合の組織対立をめぐる労働事件が多発しました。
 50年以降は、低経済成長時代といった状況の下、現実路線を模索した労働戦線再編のうねりの中、労働争議やこれに伴う不法事案は減少しました。

三池炭鉱のホッパー(貯炭槽)広場での10万人集会
三池炭鉱のホッパー(貯炭槽)広場での10万人集会
(昭和35年、福岡)(読売)
 

2 労働団体の存在の模索

 昭和62年4月の国鉄分割・民営化に伴い国鉄内労組が大きく再編されたほか、平成元年11月には総評が解散して、日本労働組合総連合会(以下、「連合」という。)が発足しました。他方、同年、総評等の動きを批判して全国労働組合総連合(以下、「全労連」という。)や全国労働組合連絡協議会(以下、「全労協」という。)が発足しました。
 連合、全労連及び全労協は、発足後いずれも、組織拡大を最優先課題として、「組織拡大強化計画」等の各種方策を講じましたが、バブル経済崩壊以降の経済の悪化による賃上げ抑制や企業リストラによる雇用情勢の悪化といった状況を背景に思うようには成果は上がらず、逆に組織の減少傾向に歯止めが掛からない状況が続いています。
 このため、各労組は、いずれも組織拡大を最重点としながら、雇用、年金、消費税等社会的反響の大きな闘争課題について、集会、デモ等に取り組んでいます。


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