表紙・目次 はじめに 第1章 警備警察50年の歩み 第2章 警備情勢の推移 第3章 警備情勢の展望と警察の対応 資料編

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50年間の国際情勢


昭和30年代


  米ソの大陸間弾道弾実験成功の発表や人工衛星の打ち上げ等により、東西両陣営の関係は、「平和共存より力の政策」といった緊張状態が続きました。
 その後、ミコヤン・ソ連副首相の訪米、ニクソン・米国副大統領の訪ソ等、東西間の訪問外交により、緊張は次第に緩和され、さらにフルシチョフ・ソ連首相の歴史的な訪米によって雪解けの兆しが見え始めましたが、U2型機撃墜事件、キューバの海上封鎖等により急速に冷却し、以降は、以前にも増して厳しい対立状態となりました。


昭和40年代

  昭和40年代の前半は、米国が北ベトナムへ爆撃を開始したことにより本格化したベトナム戦争、ソ連のチェコスロバキアへの武力介入、中国の文化大革命等、米・中・ソ3国をめぐる国際関係が注目を集め、米ソ共存の基調が確認される一方で、中ソ対決、米中対立がより強まりました。
  その後、中国の国連加盟に加えて、ニクソン・米国大統領の訪中・訪ソを軸に冷戦構造が崩れ、米ソ主導型の二極構造を多極構造へと導く動きが強まりました。
  また、第四次中東戦争後、アラブ側が石油を武器とする新しい世界外交を展開したため、石油資源問題はかつてない深刻な影響を世界中に与えました。すなわち、原油高騰が引き金となって世界経済が悪化し、諸国で政情不安が発生するとともに、「南北問題」が顕在化しました。
米軍、北ベトナムへの爆撃開始 写真
米軍、北ベトナムへの爆撃開始(PANA)

昭和50年代

  昭和50年代に入り、それまで国際情勢の基調となっていた米ソのデタントに陰りが生じ、加えてソ連のアフガニスタン侵攻に端を発して、米ソの緊張が高まりました。さらに、米国の戦略防衛構想(SDI)の発表等により、ソ連が中距離核戦力(INF)制限交渉の無期限中断を通告するなど、関係改善の機運は一層後退しました。
  一方、激しい対立が続いていた中ソ関係については、次官級協議等を通じて、次第に関係改善に向けての積極的な姿勢が現れました。また、米中関係については、54年1月、両国の国交が正常化されました。
  こうした中で、イラン・イラク戦争、レバノンからのイスラエル軍の撤退問題、PLOの内紛等を軸に激動する中東情勢等は、予断を許さない状況となりました。


昭和60年代~昭和から平成へ

  昭和60年代に入り、軍縮に向けた米ソの対話の進展、中ソ関係の正常化等、緊張緩和に向けた動きがみられました。東欧諸国では、ソ連のゴルバチョフ書記長が強力に推進するペレストロイカ(改革)政策の影響を受け、民主化と市場経済導入に向けた改革の動きが一段と加速しました。また、平成元年11月には、「ベルリンの壁」が崩壊し、翌2年10月には東西両ドイツが統一するなど、戦後の国際社会の基本的な枠組みであった東西の冷戦構造を大きく揺るがす出来事が相次ぎました。
  一方、同年8月のイラクによるクウェート侵攻により中東情勢が緊迫し、翌3年1月、多国籍軍による武力行使が開始されました。 同年12月には、ソ連が解体し、ロシア連邦等が成立しましたが、不安定要因を抱え予断を許さない状況が続きました。
  冷戦終焉後の構造的変化の過程にある国際社会においては、新秩序を模索する様々な努力がなされましたが、民族問題等を背景とする新たな紛争、対立要因が顕在化し、旧ユーゴスラビア地域やソマリア等における地域紛争、北朝鮮の核兵器開発疑惑等、依然として多くの課題が残されました。

ベルリンの壁崩壊(平成元年11月10日)(PANA)

平成6年代以降

  国際社会全体が21世紀に向けた新たな世界秩序を模索する中、世界各地で宗教や民族問題等に起因した地域紛争が発生しました。こうした紛争地域では国際テロが頻発し、国際的な問題として大きくクローズアップされ、また、平成8年12月には「在ペルー日本国大使公邸占拠事件」が発生するなど、国際テロが国際社会にとって重大な脅威となりました。特にイスラム過激派は、中東地域に限らず、「米国における同時多発テロ事件」(13年9月)、「インドネシア・バリ島における爆弾テロ事件」(14年10月)等、世界各地で一般市民を巻き込んだ自爆テロや大量無差別テロを敢行したため、根絶に向けた国際テロ対策が世界的規模で進められました。
  また、大量破壊兵器等の拡散や核開発問題も重要な国際的問題となりました。特に北朝鮮に関しては、6年7月、金日成
(キム・イルソン)主席の死去後、核開発疑惑をめぐる米朝合意が一応成立したほか、12年6月に大韓民国と北朝鮮との初の首脳会談が、14年9月には初の日朝首脳会談がそれぞれ開催されました。しかし、その一方で、北朝鮮は、10年8月、「テポドン」ミサイルを発射したほか、核開発問題でも、地下核施設疑惑の浮上に対して国際原子力機関(IAEA)の特別査察を拒否、IAEA査察官を国外退去させるとともに、核拡散防止条約からの脱退を宣言するなど、国際社会の中で、対立と孤立感を一層深めました。

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